2022/11/22新船橋CSNew!
松岡先生の少年時代・・・
皆さん, こんにちは。
進学塾3Arrows新船橋CSの松岡です。
先週に引き続き,本日は「松岡少年時代」について
お話していこうと思います。
【誕生】
長谷川と同じく19○○年4月27日に新潟県新発田市で誕生しました。
今は関取みたいな見た目ですが20歳を超えるまでは体重は66kgを超えたことがありませんでした。
父は転勤族で私が3歳を超えるまでは半年に1~2回のペースで地方を飛び回っていました。
小学生に上がる前にマイホームを購入し,横浜の地ですくすくと育つようになりました。
【幼稚園時代】
可愛くありませんでした。「将来の夢は?」と聞かれ,「公務員。不安定なのは嫌い。」と答える可愛がり
要素が少ない子でした。
また,習い事などで運動はしたことがありませんでしたが,
筋肉だけは無駄にあり,ちょっかいのつもりが多くの犠牲者を出していた
いわゆる「モンスター」でした。
クリスマスの日に教室内でサッカーボールを思いっきり蹴り,キリスト様の置物を
木端微塵にしてしまったのもいい思い出。
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【小学生時代】
小学生に上がると周りの子が塾に通い始め,学校の授業でサラサラと演習する姿を見て
大きな憧れを抱くようになりました。
特に,算数は分数の単元が苦手で何回も間違いを繰り返し,一人で解決するのに限界を感じていました。
ただ,母は全く耳を傾けてくれず、中学に入るまでお預け状態が続いていました。
同じクラスにいた中学受験をする子達と仲良くなり,
「松岡も一緒に神奈川御三家受けようぜ!」となぜか誘われました。
しかし、ポケモン以外に御三家というワードを聞いたことがなかった当時の松岡少年は
大変困惑。
ただ,中学受験の問題はとても刺激的で面白かったです。
当時,N能研に通っていた友達に算数の問題を見してもらい,何回か解かせてもらいました。
新しい解法を知り,実際に演習し,解けたときの達成感は学校の問題を解いたときよりも遥かに
超えていたことを記憶しています。
![](/upload/tenant_1/f1361fb2c3ec6615743a6e09cf0bdcb3.png)
ちなみに,人生の一番のモテ期は小5でした。
【中学時代】
帰宅部を希望していた自分に母は「中学生なんだから身体を鍛えなさい!」という謎の教育方針により,
運動部に入部することを決めました。が,決め手がなく最終的にダーツで決定。「柔道部」に入部。
顧問の先生が生活指導主任ということも知らず,怒号が飛び交う地獄のような練習の日々でした。
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ここで,やっと念願の塾に通うことが出来ました!やった!
通信教育のみで勉強していた身からすると、誰かに教えてもらえる環境というのは
部活とは真逆、まるで天国にいるかのような気分で勉強が出来ました。
ただ,勉強に関しては完全に塾にシフトチェンジしてしまったので
学校では授業中に友達とコソコソ遊んだり,提出物の管理がとてもだらしなくなったりしてしまいました。
定期テストで450点を超えても,内申点は2年生の後期までオール3を超えることはありませんでした。
本当に後悔しかありません。
もし,あの時の自分に言い聞かすことが出来るならば「ちゃんとしろ!」と
喝を入れたいですね。
その為,行きたい高校には内申点が原因で断念することになりました。
ランクを落としたことで無事公立高校に合格することは出来ましたが,素直に喜ぶことが出来ませんでした。
なので,しくじり先生とは言いませんが,「俺みたいになるなよ!」と
常々思いながら指導をしている所存であります。
提出物,暗記もの,授業態度,全部大切になってきます。
「人のふり見て我がふり直せ」
今回の記事を読んだ,特に現役生は改めて自身の生活を振り返りましょう。
コツコツと続けてきたものが最後には笑えるのです。
ということで,本日は小学生~中学生の松岡について紹介しました。
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